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●1ヵ月間デザインに関する雑誌と本を読み続けた。
インダストリアルデザインを学んだ福良には仕事がなかった。エレコム創成期の頃である。1988年、新卒で入社して1ヵ月。エレコムでは当時パソコンラックを始めとするファニチャーが次々と開発されていた。先輩社員はそれに追われていて、福良を指導する時間さえなかった。もちろん、経験も知識もない新入社員がいきなりファニチャーを作れるはずもない。仕方がないので、福良は開発課にある雑誌や本を読んでいた。「この時の1ヵ月間の自習は大学の4年間よりもよっぽど知識が身に付きましたけどね」と笑う。エレコムの当時の主力商品はファニチャーがメイン。パソコンのアクセサリーやサプライは市場も小さく、まだ力を注ぐほどの分野とは捉えていなかった。
●「マウスをつくりたい」その思いからスタートした。
やがて、パソコンサプライの開発の仕事を福良が担当し始める。最初はキーボードにかぶせてショートカットキーを表示するオーバーレイシートを開発した。その後、葉田がある点に着目した。それは、当時パソコンと周辺機器をつなぐケーブルは輸入販売していたが、9ピンのものは日本でしか使用されておらず、海外商品になかったこと。すぐさま「商品化したい」という声が、福良のもとへ届いた。生産できる企業を探し、500本を出荷した。打合せの中でその生産会社が「マウスも技術的には生産できますけどね」と漏らした言葉に、葉田は飛びついた。「マウスをつくりたい。」社内からは反対の声も上がった。「サポートする体制がない」と。作りたいという思いはあるものの、福良も反対する一人だった。しかし、間もなく開発に着手することになる。今では不思議に思えるが、当時すべてのマウスは角張っており、色はグレーぐらい。それが常識だとみんなが思っていた。福良は1ヵ月ほど考えて、はっと思い付いた。「卵。」それはすぐにカタチになった。卵のカタチをした画期的なマウスが出来上がった。「エッグマウス」の誕生である。福良のアイデアはそれだけにとどまらなかった。青や赤、同デザインでカラーのシリーズをつくった。さらにマウスにロゴを入れることにこだわった。当時のマウスにロゴ等なかったし、入れるという発想もなかった。「人と違うことがしたかったんです。」
●エッグマウスが売場そのものを変えた。
そして、現在のエレコムの戦略の基礎となる革新的なアイデアがこの時、福良から出された。それはマウスのパッケージである。それまで1万円の価格で売られていたマウスは高価なためショーケースの中の箱に入れられており、消費者は実物を見て確かめるということができなかった。注文すると店の奥から店員が出してくるといった陳列と販売が行われていた。福良は「実物を確かめてもらう。さまざまな色を楽しんでもらいたい」まったく新しいパッケージをつくった。それが透明のプラスチックでカバーされ、中身が見え、フックがけを前提とした、価格面でも消費者の手に届くパッケージだったのである。このパッケージは量販店の陳列そのものも変えた。
こうした福良のアイデアはすべて前例のないものだった。だから、当然のように反発もあった。しかし、福良は先見性のある考えを貫いた。
価格は3980円、圧倒的な価格である。デザインが美しい。丸みを帯びたカタチは手の動きにフィットする。その上、手にとって商品を確かめることができる。大ヒットとなった。エレコム初めての商品分野、それも短期間で圧倒的なシェアを獲得した。エレコムの名は一挙にパソコンユーザーの間で知れ渡り、最初の通産省(現:経済産業省)グッドデザイン賞の選定商品となったのである。
●エレコム初の通産省グッドデザイン賞「エッグマウス」
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