「危機感」と「応援」が
シャッター商店街を変えた。
宮崎県日南市 油津商店街の再生物語

“「危機感」と「応援」がシャッター商店街を変えた。宮崎県日南市 油津商店街の再生物語 「危機感」と「応援」がシャッター商店街を変えた。宮崎県日南市 油津商店街の再生物語
Introduction
宮崎県日南市にある油津(あぶらつ)商店街は、店舗数が50年前の約3分の1に激減した、いわゆる「シャッター商店街」でした。しかし、2013年にまちづくりコンサルタントの木藤亮太さんが“日南市油津商店街テナントミックスサポートマネージャー”に着任し、いくつかの商店を再生させていった一方で、「商店街に入るのは商店だけでなくてもいい」という発想の転換により、IT企業、レンタルスペース、保育園などを次々と誘致。4年後には、活気のある新しいかたちの商店街へと変貌を遂げました。商店街の再生にはどのような視点を持って取り組んだのか、地域や企業の生き残り戦略における、マインドをアップデートすることの大切さを伺いました。

日本中のまちづくりを変えたのは、危機感がもたらしたアップデート

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経済の右肩下がり、大規模ショッピングセンターの郊外出店、少子高齢化、そしてオンラインショッピングの普及による消費者行動の変化など、さまざまな要因により日本中で弱体化が叫ばれ続けている「商店街」。一部の例外を除きほとんどの商店街が苦境に立たされている中、近年注目を集めているのが宮崎県日南市の油津商店街です。


かつては日本屈指のマグロ漁港だったという港と、そこに通勤するための駅との間に生まれた油津商店街。マグロが獲れなくなり、さらにモータリゼーションが進むにつれ駅利用者は激減し、寂れてしまいました。そして店舗数が50年前の約3分の1に激減した“シャッター商店街”となり、「猫さえ歩かない」と言われるまでに。

そんな油津商店街の状況が変わり始めたのは2013年のこと。日南市が2013年4月に市の中心街の活性化に取り組む「テナントミックスサポートマネージャー」の公募を行いまちづくりコンサルタントの木藤亮太さんが着任したのです。「任期4年で月あたりの事業費が90万円」という条件も話題となったこの公募は、結果として任期の約4年で25を超える新規出店と企業誘致を実現し、一躍全国から注目が集まることになりました。

数多くの応募者の中から選任され、任期の4年間で見事に成果を出した木藤亮太さんですが、開口一番「僕が何をやったかという以前に、日南市がこの事業を組み立てたことがすごかったんです。」と謙遜の言葉を口にしました。


木藤: 従来のまちづくりといえば、福岡や東京といった大都市のコンサルタント会社に大金を支払い、そこの担当者が出張でやって来て2~3日滞在し、アドバイスをして帰っていく、というものがほとんどでした。日南市は「それじゃまちは変わらないだろう」と考え、コンサルタントを日南市に住まわせ自分たちのコミュニティの中に投入し、マンツーマンでまちを変えていくような取り組みをしようとしたんです。

−−スタート地点から他のまちづくりや商店街の活性化とは違っていたわけですね。

木藤: そうです。油津商店街の件で僕自身が評価されるのはありがたいのですが、それ以前に日南市が素晴らしいのです。当時33歳という九州最年少で日南市長(崎田恭平さん)は当選したのですが、そんな市長を選んだ日南市の市民がまず素晴らしいじゃないですか。みんなが「まちが変わらなきゃ」という危機感を抱いていたんです。そういう空気感があるところに、僕ら外部の人材が入っていったという前提がまずありますね。また、全国のまちづくりや活性化についての価値観のアップデートがこの5年~10年で急速に起きているという状況も大きいと思います。

−−この数年でなぜまちづくりへの意識が高まっているのでしょうか?

木藤: やはり大きいのは2011年の3月11日起きた東日本大震災だと思います。この震災では、多くの方が亡くなり、まちそのものが失われました。その復興の中で「ハードだけでなく、コミュニティの再構築が重視されたことで、さまざまな視点が生まれました。また、2014年には通称「増田レポート」と呼ばれる、消滅可能性都市についての発表があったことも影響していると思います。その流れで安倍政権が地方創生を掲げ、人口減や中央集中のアンバランスを取り戻そうとし始める中、それぞれの自治体が危機感を持ち始め、絵に描いたような“理想的なまちづくり”ではなく、成果を出す“実質的なまちづくり”のために動くようになったと感じます。

もちろん“商店街の再生”はそれ以前からずっと各地で取り組まれていましたし、それぞれの商店街は非常に頑張っていました。しかし、従来の取り組みは人通りを取り戻すことに終始し、マルシェを開いたり、芸能人を呼んだりと、イベントが中心の傾向にありました。でも、そうして一時的に人が増えても、お客さんは商店街でお金を使わなかったり、そもそも商店街の人たちがイベントにこだわるあまり疲弊してしまっていたりと、効果持続しないのが現実でした。

−−なるほど。

木藤: そして行政が予算をつけたとしても、その期間が終わった途端にまた元通りになってしまったり、お店への家賃補助が行われても補助が終わった途端に夜逃げしてしまうようなケースもあったりと、商店街活性事業には大きな落とし穴があるんです。2013年は、そうした従来の方法とは違う新しい商店街再生をやっていこうと全国的に動き出し始めたタイミングだったと思います。

アップデート方法は「古いものを変えるのではなく、新しい空気を送り込む」

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−−商店街の再生にあたり、どのようなところから取り掛かりましたか?

木藤: “何を再生するのか”ということがまず重要でした。活性化を目指して商店街の人たちと話をすると、まず「組合をどうにかしたい」という話になる。商店街というのは、ひとつひとつの店がちょっとずつお金を出し合ってイーブンにつながっている組合組織なんです。昔は組合員がいっぱいいてお金も豊かにあったから、それを使っていろんなイベントをやるなどしていた。そういう状況を取り戻したいと皆さん考えるんですね。でも、今は自治会にすら入らない若者も多いし、協同組合という発想自体が古くなってきている。そこで組合の再生イコール商店街の再生ではないと考えました。

−−“かつてあったものを取り戻す”のとは違う、新しい方向性に目を向けたわけですね。

木藤: はい。それに商売をされている人は個性的な方が多いし、業種ごとに起床時間など生活ペースが違うので、みんなで集まること自体が難しいんです。だからそこで合意形成を図り、1つのことに取り組むのはとても難しいということがわかりました。だから商店街の人たちを変えるというよりも、新しい空気をどんどん商店街の中に送り込んでいこうという方向になりました。それを続けることで何かが変わるかもしれないですし。

−−しかし、新しい方向性を打ち出すことで反発を招く心配はありませんでしたか?

木藤: ありがたかったのは、僕の選任が決まる前から、市役所の若い担当者が商店街を回って一人ひとりに話をしておいてくれたことです。「商店街も再生を目指してこれまで一生懸命頑張ってきたけど、上手くいっていない。そうした状況を打破するために人を月90万円で雇ってまちの中に入れる。とにかく4年間は騙されたと思ってその人を中心にやっていきましょう。」って。それはもう、失敗したら商店街が終わるかもしれないくらいの覚悟で。そのような基盤があったから僕もスッと入れたし、根本的な意識は変わっていなかったとしても「新しいことをやっていこう」という空気は生まれていたんです。

−−新しい空気を送り込むために、具体的にどのような取り組みをしたのでしょうか?

木藤: 僕は“応援団”と呼んでいるのですが、油津を再生するために外からやってきた僕のまわりに、僕を応援する人たちが集まってくるようになってきたんです。彼らは商店街の中の人ではなく、商店街のまわりで働いている若い世代や意識を持った人たちで、日頃自由な発想で色んな取り組みをやっていたりするけど、もっとまちにコミットしたいとモヤモヤしていた人たち。

−−町の状況に危機感を持ってはいたけど、どうすれば関われるか分からなかった人たちが集まってきたわけですね。

木藤: まちづくりって捉えどころのないもので、市民の方々がそこに触れようとしてもどう触れていいかわからないし、誰に相談したらいいかもわからないんですよね。でも、僕は周囲の市民にわかりやすくまちづくりを伝えることができる専門家としてやってきた。その背中に触れていたら自分たちもまちづくりに関わることができるんじゃないかという彼らのインターフェースに僕がなったわけです。

−−やはり住民の方々に危機感や目的意識があり、それが木藤さんをきっかけにさらに可視化されるようになったと。

木藤: はい、そうして動きが顕在化してきたので、僕を介して油津の応援団を作れば、商店街を応援する大きな流れが出来上がってくるんじゃないかと感じました。結果として、応援団は株式会社化しました。それが株式会社油津応援団です。

−−ゆるいつながりではなく会社組織にしたのはなぜですか?

木藤: 応援団の会社化はいろんな人に評価していただくポイントなのですが“応援”というのは意外と無責任なんですよ。「応援してるよー」と言うわりには何もしないものじゃないですか。だから僕らは“応援”という言葉に責任感を持たせ、責任を持って関わってくれる人を作ろうと思って株式会社化したんです。応援団員かどうかは、出資をしてくれるかどうかです。そこにはお互い責任が伴います。

−−お金という形で責任のありかをはっきりさせたのですね。

木藤: やはり、お金は大切ですね。実はもともと会社化しようと思っていたわけじゃなく「ABURATSU COFFEE」というカフェをつくったのがきっかけなんです。


木藤: 当初、商店街の方々とマネージャーとしてやってきた僕の関係にはギャップがあったので、僕もリスクを負って商売をすることで彼らの仲間に入れるんじゃないかと思ったんです。でも経験もないので、会社化し、当時の商工会議所の事務局長さんと飲食店のプロの方に入っていただいて、800万円を宮崎銀行から借金してお店をつくりました。自分たちのお金でやっているので必死ですよ(笑)でも、自分たちで借金をしたということが広まり「どうやらあいつら本気らしい」という空気ができたんです。税金でやっていてはこうはならなかったと思います。

課題設定で事業の見え方は大きく変わる。「商店街にオフィスを誘致する」発想の転換

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−−油津商店街の特徴として、店舗だけでなくIT企業の誘致もあります。この狙いは?

木藤: 企業誘致はもともと商店街のためにされたものではなく、僕と同じタイミングで外需獲得やマーケティング、PRのために採用された日南市マーケティング専門官 田鹿倫基さんのミッションでした。IT企業の誘致といえばさまざまな地域で先行した取り組みがありますが、それらは“東京からの地方移住”という働き方を提供しているのに対し、油津では地元に住む若者や東京などからUターンで戻ってきた若者が、東京から誘致されて来た会社で働くというスタイルにこだわっています。これまでに10社誘致されて100人近くの雇用が生まれていますが、その9割以上が地元の人たちです。彼らは、特別な技術を持たずとも、PCなどを用いたオペレーティング系に近い業務を担っているケースが多いですね。オフィスも非常にかっこよくつくっていて、テレワークも加え東京と同じ感覚で仕事ができるけど、一歩外に出ると自分が生まれ育った商店街が広がっているという環境になっています。

ブティックが入っていた大きな空き店舗には、日南市初IT企業のオフィスが誕生。

木藤: そして100人が新しく商店街で働くことによって、新しいニーズが生まれ、商店街のど真ん中に保育園ができました。保育園の目の前がIT企業のオフィスという、なんとも珍しい光景が広がっていますよ(笑)もちろん保育園の他にも、そのオフィスで働く若者がお昼を食べるための飲食店など、新たな消費が生まれています。

シャッターが閉まったままの飲食店は、商店街にあるオフィスで働く人の子どもが通う保育園になった。

−−まさに新しい空気を送り込むことによって商店街の姿が変わってきたわけですね。

木藤: そうです。他にも「油津yotten」という飲食もできる時間貸しの市民活動スペースをオープンさせたのですが、ここでは宴会が行われたり、ダンススクールなんかの習い事も開かれたりしているんです。するとダンススクールに通っている子どもたちの親が送り迎えに来るようになり、それによって自然と商店街に通う人が増え、帰りに商店街で買い物をしたり飲食をしたりするようになって消費が生まれていくようになりました。

閉店したスーパーマーケットの跡は、街の人が集うイベントスペース「Yotten」に変貌を遂げた。

「Yotten」では、落語会や地元の子どもたちのダンスの発表会といったイベントが開催されている。

木藤: 商店街って今までは“買い物する場所”だったのですが、そういう新しい目的を商店街に散りばめていくのが大切だと感じています。お店を並べてもそこに人がいなくては意味がないので、新しい店をつくるのではなく、“人を集めるしくみ”をつくる。課題設定をどうするかで事業の見え方は変わっていきますね。

−−油津商店街の今後の方向性についてはどのようにお考えですか?

木藤: これからは“持続性”が大事になってくると思います。僕は油津での4年の任期を終え、今は地元である福岡県那珂川市に戻り、ここでベッドタウンの特性を活かしたまちづくりを進めています。しかし、まだ油津のまちづくりは終わったわけではないので、引き続き関わっていきます。ただし、これからは外部の人間中心ではなく、地元主体のサイクルにしていくべきだと考えています。実際に株式会社油津応援団も今では取締役のほとんどが地元の人になりました。
同じように、商店街に新しくお店を開いた人たちも、もっと広いところに店を持ちたくなったり、逆に売上に伸び悩んだりして、撤退してしまう可能性ももちろんあります。その対応として、新しいお店を新たに呼び込むことができる“そんな商店街の自力”を常に持っておくことが大切だと思います。

木藤: ですから、本当は僕や油津商店街をこの時点で評価していただくのはまだ早いと思っています。これから油津応援団がしっかりと収益を確保しつつ、若い人を取り込みながら経営を続けて行く。そして商店街から撤退するお店が出てきてもまたすぐにそこを埋められる。そんなエコシステムを5年、10年と続けていって初めて評価されるべきだと思います。今はまだ、第一フェーズが終わったくらいのイメージですね。

先日、この4~5年で関わった人たちの名前を書き出してみたのですが、いつの間にか僕のまわりにはたくさんの人たちが集まっていることを実感しました。当初は知らなかった人たちの名前もたくさんあります。でも、その一方で、たくさんの名前がありながらも僕はみんなのことをきちんと知っているんです。そうした“顔が見える”レベルで、丁寧なコミュニケーションとプロデュースを人単位でやっていかないといけない。まちづくりは本当に大変な仕事だと思います。

岡島 悦子 Etsuko Okajima
PROFILE

木藤亮太Ryota Kitou

1975年、福岡県那珂川町(現:那珂川市)生まれ。 まちづくりに関するコンサルティングを専門とし、2013年に日南市油津商店街テナントミックスサポートマネージャーに応募し選任。株式会社油津応援団を設立し、油津商店街の再生に取り組む。4年の任期を終え、現在は生まれ故郷の那珂川市に移住し同市のまちづくりに取り組む一方、引き続き油津商店街のプロジェクトを進めている。

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