日本人ドライバー「福田良」スポンサー契約のお知らせ |
エレコム株式会社(本社:大阪市中央区、取締役社長:葉田順治)は、2003年度よりパソコン周辺機器メーカーとして積極的に海外事業を展開して参りました。今年も引き続き更なる飛躍に向けチャレンジしていく姿勢を示すシンボルとして、2005年「ワールドシリーズ・by・ルノー(F3000)」に参戦する日本人ドライバー『福田 良』との年間スポンサー契約を結びましたので、お知らせいたします。
福田良は日本人唯一のフランスF3王者であり、国籍の違いを超えて活躍するドライバーとしてヨーロッパモーターファンの敬意と人気を獲得しています。そして今年はF1への登竜門として名高い「F3000 ワールドシリーズbyルノー」に名門チーム「ソルニエ」より参加、欧州各地を転戦することが決定しています。
われわれが福田良に注目した理由は、彼の国際性、先進性、知性を兼ね備えたチャレンジスピリットにあります。彼は幼少時に米国に滞在し、また16歳のときに単身渡仏するなど、ワールドワイドなコミュニケーション力を持っています。日本人レーサーが地元スタッフやファンにこれほど厚い信頼を得、フランス、UKのマスコミにも大きくとりあげられているのは非常にレアなケースです。彼は少年の頃より自らの意思で自分の進む道を切り開き、勇気、先進性と、より大きな世界へ挑戦してゆく気概を持ち続けております。この人となりに共感し、今回の契約を結ぶにいたりました。
海外展開でさらなるステージへチャレンジしていく「エレコム株式会社」と、世界にチャレンジし続ける「福田良」にご支援賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
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左:福田良、右:エレコム株式会社 取締役社長 葉田順治 |
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(参考資料)
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1.エレコム株式会社の海外展開 |
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2003年 |
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3月: |
ELECOM UK LIMITED(英国)を設立 |
2003年 |
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7月: |
ELECOM KOREA CO.,LTD(韓国)を設立 |
2004年 |
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7月: |
宜麗客(上海)貿易有限公司(中国)を設立 |
2004年 |
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9月: |
Elecom Deutschland GmbH(ドイツ)を設立 |
2004年 |
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12月: |
Elecom ITLY S.r.l(イタリア)を設立 |
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2.2005年ワールドシリーズ・by・ルノー スケジュール |
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戦 |
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日程 |
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開催国 |
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開催地 |
1 |
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4/30-5/1 |
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ベルギー |
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ゾルダー |
2 |
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5/21-5/22 |
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モナコ |
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モナコ |
3 |
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6/4-6/5 |
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スペイン |
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バレンシア |
4 |
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7/9-7/10 |
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フランス |
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ルマン |
5 |
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7/16-7/17 |
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スペイン |
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ビルバオ |
6 |
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8/6-8/7 |
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ドイツ |
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オッシャースレーベン |
7 |
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9/10-9/11 |
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英国 |
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ドニントンパーク |
8 |
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10/1-10/2 |
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ポルトガル |
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エストリル |
9 |
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10/22-10/23 |
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イタリア |
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モンツァ |
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3.開幕戦 ベルギー・ゾルダー「福田良」レース結果 |
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第1レース決勝 : 9位 完走 |
第2レース決勝 : 8位 完走 |
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<福田 良プロフィール>
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1991年 12歳 |
12歳でカートレースデビュー |
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1995年 16歳 |
鈴鹿アジア・パシフィックグランプリ優勝 |
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1996年 17歳 |
フランスのレーシングスクール「エルフ・ラ・ラフィリエール」奨学生として渡仏。
フォーミュラールノー・キャンパスに参戦、シリーズ9位 |
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1997年 18歳 |
フォーミュラールノー参戦、シリーズ7位 |
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1998年 19歳 |
同戦の市街地サーキット「ポー」で優勝。日本人は公道レースでは勝てない、というジンクスを打ち破る。優勝3回、シリーズ3位。 |
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1999年 20歳 |
チーム「ラフィリエール」からフランスF3参戦、シリーズ9位。初参加の『国際F3マカオ GP 』では、予選23位から猛烈に追い上げ8位でゴール。各国F3のトップドライバーを相手に存在感を見せつけた。 |
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2000年 21歳 |
2年目のフランスF3カテゴリーに参戦。チーム「LDオートスポーツ」へ移籍。第4戦のマクニールで初優勝、第6戦のヴァルデヴェンヌで2勝目を挙げ、7戦連続で入賞を果たしランキング首位を独走。しかし、シーズン中盤からチーム体制が混乱しマシントラブルが続出。第11戦のル・マンではドイツのチーム「ホフマン・モータースポーツ」から出場し、予選でポールポジションを獲得したが、ランキング1位のコシェにぶつけられリタイア。結局、シリーズ3位で終了。11月の『国際F3マカオ
GP 』に二度目の出場は、名門チーム「プロマテクメ」から。予選は3位。決勝第2レースを3位でゴール。執念で表彰台を獲得し、日本でも大きな話題となる。 |
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2001年 22歳 |
フランスF3王者を獲得チーム「ソルニエ・レーシング」(「プロマテクメ」から改称)に移籍して3年目のフランスF3に参戦。第2戦から3連勝を飾りランキング首位に立つ。6月のF3ユーロカップ・ポーGPでは、国際F3で日本人初の2位を記録。その後も好調を維持し、フランスF3第7戦を終了した時点ですでに5勝。しかし、第8戦の予選でクラッシュした後は調子を落とし、8月の国際F3マールボロ・マスターズは9位、フランスF3第9戦3位。ランキングでライバルのモンテイロと並ばれる。プレッシャーのなか臨んだ第10戦はポール・トゥ・ウィン&ファステスト・ラップの完全勝利。最終戦を残し、2001年フランスF3王者を獲得した。最終的には、11戦で優勝7回、表彰台2回と圧倒的な強さでシーズンを終了。11月、イギリスF3王者・佐藤琢磨、ドイツF3王者・金石年宏との日本人F3王者対決が注目を集めた、国際F3マカオGP参戦。優勝も期待されたが、決勝第1レース3周目でレース人生最大のクラッシュに巻き込まれ、リタイアに終わる。12月、ヨーロッパでの活躍とドライバーとしての実力が認められ、F1チーム「ラッキーストライクBARホンダ」とのテストドライバー契約を発表。 |
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2002年 23歳 |
F1チーム「ラッキーストライクBARホンダ」のテストドライバーを務める。ル・マン24時間レースにGTクラスのフェラーリで初参戦、約5時間ドライブし奮闘するも15時間目でマシントラブルによるリタイア。スパ24時間レースに参戦、23時間目5位走行中、マシントラブルによるリタイア。 |
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2003年 24歳 |
チーム5ZIGENよりフォーミュラ・ニッポンに第1戦から第5戦まで参戦、最高位6位入賞。ル・マン24時間レースに近藤真彦監督率いるKONDOレーシングのジャパンドリームチームより近藤真彦監督、片山右京選手と参戦、13位でフィニッシュ。 |
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2004年 25歳 |
ワールドbyニッサン参戦、開幕戦第1ヒートでは、決勝で11台抜きの快走を見せ6位入賞、第2ヒートでは3位表彰台。 |
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このリリースに記載の内容は、発表当時の情報です。
予告なく変更されることがありますので、あらかじめご了承ください。 |
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